女優の吉高由里子が、2月5日から放送されているアレルギー専用鼻炎薬「アレグラFX」の新CM ..
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編集者のための定規/薄くて便利で小さ.. なんだかまとまりの無いタ...
レクサス書体の正体は? ようやく手が少しだけ空...
リュウミンとヒラギノの哲学を垣間見る (19日に下書きして20...
LHM in PDF というわけで(違う)写...
久光製薬のアレグラFXとサロンパス、花王のエッセンシャルが嵐メンバーCM出演で大きな効果が! 起用社数増の真相が明らかに.
J.S.バッハ:ヴォランタリー:諸人声あげ 12.ジャクソン:幼子キリスト
13.B.ディーン:いまや夜明けがきて 14.タネジ:主よ、憐れみたまえ
15.マルダウニー:聖母マリア 16.T.デイヴィス:クリスマス・イヴ
17.J.ラター:楽園にある全ての鐘が(世界初録音)
ピーター・スティーヴンス(Org)、
スティーヴン・クレオベリー(合唱指揮)、
ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団
録音:2010年12月、2011年1月、2012年7月、
キングズ・カレッジ聖堂(ケンブリッジ)
イギリス屈指の世界的合唱団「ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団」が、
自主レーベル「THE CHOIR OF KING’S COLLEGE」より記念すべき1stアルバムを
リリース!2010年12月のクリスマスコンサートで演奏した「9つの聖務日課の祈
りとキャロル」のライヴ録音をベースに、2006年から2011年にかけて委嘱した
新曲の数々をまとめた豪華2枚組アルバムです。
毎年BBCテレビでの生中継も行われるケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団
のクリスマスコンサートは、いまやイギリスのクリスマスには欠かせない人気
イベント。ヨーロッパ伝統のクリスマスキャロルから、現代作曲家たちの委嘱
新曲にいたる多彩なプログラムが、イギリス国内外問わず多くの人を魅了して
います。このアルバムでも、フィンランドの作曲家ラウタヴァーラら、名だた
る現代作曲家たちが、他ならぬこの合唱団のために作曲した作品がちりばめら
れています。キングズ・カレッジ合唱団と縁の深いイギリスの作曲家、ジョン
・ラターの「楽園にある全ての鐘が All bells in paradise」は今回が世界初
録音!ラターらしいシンプルながらも奥深い響きが美しく、荘厳でありながら
どこか親しみのあるハーモニーに魅了されます。ジャクソンの「幼子キリスト」
では、ぞっとするほどの透明感を放つボーイ・ソプラノの歌声が絶品。キング
ズ・カレッジ聖堂の音響も素晴らしく、柔らかくも荘厳なオルガンの音色と共
に、由緒ある名門の煌びやかなハーモニーを存分に堪能できます。2ndアルバム
には、モーツァルトの「レクイエム」を予定しているケンブリッジ・キングズ
・カレッジ合唱団。今後のリリースからも目が離せません!
<AMBRONAY>
AMY 035 2枚組 ¥3500
F.クープラン:諸国の人びと―3声の合奏のソナタと組曲(全曲)
[CD1](1)フランス人 (2)スペイン人
[CD2](1)神聖ローマ帝国の人びと
(2)ピエモンテの人びと[+J.S.バッハ:アリアヘ長調BWV587(終曲ジーグのあと)]
(3)ベンジャミン・アラール(Org.)、
マルゴ・ブロンシャール&シルヴァン・サルトル(芸術監督)、レゾンブル
録音:2012年4月1-9日、ランテルヌ聖堂(リヨン、フランス)
2006年に結成されたばかりの新進気鋭の古楽演奏団体レゾンブル【Les Ombres】
が、AMBRONAYレーベルより注目の2ndアルバムをリリースしました。1stアルバ
ム(AMY 301)ではコモン・ド・ブラモンの作品を取り上げた超希少なプログラム
が話題となったレゾンブルですが、今回彼らが取り上げたのはF.クープランの
代表作「諸国の人びと」!このアルバムで特筆すべきは、組曲のラストにJ.S.
バッハのオルガン曲が付随していることでしょう!というのも、このアリアヘ
長調BWV587は、「諸国の人びと」の「神聖ローマ帝国の人々」から第1曲目を
バッハが編曲したものなのです(バッハの手によるものではないという説もあり
ますが)。「ピエモンテの人びと」の最後の曲が流れた後、しっかりとした間を
置いてからアラールによるオルガンの演奏が始まるというプログラム構成。フ
ランスとドイツ、2人の作曲家の交差点を示してくれる、ちょっとしたエスプリ
の効いた興味深いアルバムに仕上がっています!
「諸国の人びと」という題名の通り、フランス、スペイン、神聖ローマ、ピエ
モンテ(現在はイタリア圏ですが、以前はフランス貴族のサヴォワ家が統治した
地域)という4つの国の人々を表した本作。コレルリの合奏協奏曲を強く思わせ
る作風ですが、舞曲の穏やかなリズム感と気品あふれる優雅な旋律はF.クープ
ラン、ひいてはフランス・バロックならではの魅力といえましょうか。ゆった
りとしたリズムの中に遊び心のように散りばめられたイネガルな装飾も美しく、
古楽器ならではの暖かみのあるハーモニーと共にしっとりと聴き入る傑作です。
演奏を担当するレゾンブル(Les Ombres)は、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のマル
ゴ・ブロンシャールと、フラウト・トラヴェルソ奏者のシルヴァン・サルトル
によって結成されたアンサンブル団体。バロック界の次代を担う注目の若手団
体としてB.クイケンやJ.クリステンセンらからも一目置かれ、フランスを中心
に高い評価を集めている期待の若手実力派です。早くも日本を含め世界的なツ
アーを行っており、今後のさらなる飛躍に注目必至の団体です!
<agOgique>
AGO 006 ¥2380
G.オンスロー(1784-1853):
(1)弦楽四重奏曲 ニ短調 op.10-2※ (2)弦楽四重奏曲 ヘ短調op.9-3
(3)弦楽四重奏曲 変ホ長調op.21-3※
※世界初録音(また、いずれの作品もガット弦による演奏は世界初録音)
ルッジェーリ四重奏団{ジローヌ・ゴベール=ジャック(Vn)、
シャルロット・グラタール(Vn)、
デルフィーヌ・グランベール(Va)、エマニュエル・ジャック(Vc)}
録音:2011年6月13-17日、ポール・ロワイヤル・デ・シャン(フランス)
「レ・タラン・リリク」や「アマリリス」といった名門の中核で活躍する名手
たちが2007年に結成した室内楽アンサンブル、「ルッジェーリ四重奏団」によ
るジョルジュ・オンスロー(1784-1853)の弦楽四重奏曲集。オンスローは19世紀
に活躍したフランスの作曲家ですが、生前はむしろドイツで高い評価を受けた
ことでも知られます。近年ようやく再評価の動きが生まれつつある作曲家を取
り上げたこと自体も魅力的ですが、何よりもまず注目されるのは、本アルバム
が世界初録音となるガット弦を用いた演奏であることでしょう!しかも、ニ短
調と変ホ長調の作品はそれ自体が世界初録音!アンサンブルの響きは全体的に
柔らかく、ガット弦ならではの絶妙なまろやかさを持った強弱のコントラスト
が絶品です。ハイドンやモーツァルトの作風を思わせながらも、所々にシュー
ベルトのようなドラマティックかつメランコリックな響きが垣間見えるオース
ローの弦楽四重奏曲。誇張されたしつこさを控えた、清廉な情感にあふれた旋
律の数々に聴き入ります。最後に収録された変ホ長調op.21は、彼がオペラジャ
ンルへと作曲活動を転身する前に書いた作品。瞑想にひたるような第3楽章のラ
ルゲットの美しさは、かのベルリオーズのお墨付きとか。アルバムを通して躍
動感と鷹揚感の対比が美しく、ルッジェーリ四重奏団の清廉とした演奏がその
魅力をさらに引き立てます。彼らの演奏は一つ一つの音の輪郭が非常に明瞭で、
アンサンブルがクリアに響いてくるのも印象的。古典派とロマン派ファン、双
方の方々に是非聴いて頂きたい注目盤です!
<Ligia Digital>
LIDI 0202246 ¥2250
J.ジル(1668-1705):(1)ミサ曲 ニ短調 (2)テ・デウム
アンヌ・マグエ(S)、ヴァンサン・リエーヴル=ピカール(C-T)、
ジャン=フランソワ・ノヴェッリ(T)、アラン・ビュエ(Bs)、
ジャン=マルク・アンドリュー(指揮)、
レ・パッション(モントーバン・バロックオーケストラ)、
ジョエル・シュビエット(合唱指揮)、レゼレマン室内合唱団
録音:2012年5月3-5日、サン=ピエール・デ・シャルトル教会
(トゥールーズ、フランス)
宗教声楽作品、とりわけフランス・バロックならではの柔らかい響きがたまら
ないという方は必聴の新譜!2012年のシェーズ・デュ音楽祭でも話題となった、
アンドリュー率いるレゼレマン室内合唱団&レ・パッションらによるジャン・
ジル(1668-1705)のミサ曲とテ・デウムが、このたびリリースされる運びとなり
ました!本アルバムは8月末の音楽祭に先んじて2012年5月に収録されたもので
すが、歌手陣および演奏陣は音楽祭と同じ面々。日本では中々聴くことの叶わ
ない極上のハーモニーを存分に堪能できる1枚です。指揮を務めるアンドリュー
はジルの復興演奏に積極的で、シェーズ・デュ音楽祭においても2009年、2010
年、2012年と連続して彼の作品に向き合ってきました。シュビエット率いるレ
ゼレマン合唱団とのアンサンブルも抜群。A.マグエ、リエーヴル=ピカール、
A.ビュエら、ジルの「レクイエム」でも好評だった歌手陣は今回も素晴らしい
歌声を聴かせてくれます。
J.ジルはルイ14世の時代、F.クープランと同時代に活躍したフランスの音楽家。
生前は優れた歌手として南仏の教会で活躍し、数々の宗教作品を残しました。
特に彼の「レクイエム」や「テ・デウム」は当時の宗教声楽作品の中でも屈指
の美しさを持つ作品の中に数えられ、シャルパンティエやド・ラランドの宗教
声楽作品がお好きな方ならば間違いなく聴いて損はない作品といえましょう!
思わず体が揺れてしまうような躍動感あふれる舞曲のリズム、気品のある装飾
に満ちた豪奢なアンサンブルは、厳かな宗教曲というよりもむしろ絢爛な祝祭
音楽といった方がしっくりとくる壮麗さ。独唱、合唱、器楽演奏、それぞれに
聴き応えのある作品です。
<Arte della’rco Japan>
●アルテ・デラルコ・ジャパンから再発売商品のご紹介
ADJ 012 2枚組 ¥3650
ヴィヴァルディ:チェロと通奏低音のためのソナタ集(9曲)全集
(1)変ロ長調RV.47 (2)ヘ長調RV.41 (3)イ短調RV.43 (4)変ロ長調RV.45
(5)ホ短調RV.40
(6)変ロ長調RV.46 (7)イ短調RV.44 (8)変ホ長調RV.39 (9)ト短調RV.42
鈴木秀美(Vc)、ライナー・ツィパーリング(Vc)、
エーロ・パルヴィアイネン(アーチリュート&バロックG)
録音:2003年11月26、27、29&30日、秩父ミューズパーク音楽堂
★ヴィヴァルディの名曲6つのチェロ・ソナタ集に筆写譜の残っている3曲を加
えて現在確認できる事実上の全集です。演奏、録音とも快心の出来栄えで、非
常に引き込まれます。ツィパーリングとソロパートを繰り返しで交替して弾く
など「ステレオ効果」も楽しめます。RV40はキューブリック監督の名画「バリ
ー・リンドン」で使われ絶大な効果を発揮した世にも美しい名曲です。また、
通奏低音のメンバーも素晴らしく、フィンランド生まれでホプキンソン・スミ
スの弟子のリュート名人パルヴィアイネン。この録音、通常のチェンバロでな
くリュートとバロック・ギターで奏でられているのも特徴。もう一人は18世紀
オケやラ・プティット・バンドのメンバーの大家ツィパーリング。ヴィヴァル
ディ・ファンならずとも注目の内容です。(TDKAD-012の再発売商品)
<haenssler>
98 653 ¥2080
C.P.E.バッハ:鍵盤協奏曲集
(1)ニ短調Wq.17 (2)ハ短調Wq.43-4 (3)ホ長調Wq.14
ミヒャエル・リシェ(ピアノ)、
モッテン・シュルト=イェンセン(指揮)、ライプツィヒ室内管弦楽団
録音:(1)(3)2012年7月9-10日、(2)2012年4月28日、
MDRスタジオ(シュトットガルト)
MDRとhaensslerが共同制作している話題のプロジェクト、C.P.E.バッハシリー
ズから第2弾がリリースされました!フリードリヒ大王の宮廷で活躍し、“ベル
リンの大バッハ”として当時絶大な人気を誇ったことで知られるC.P.E.バッハ。
近年はシュタイアーやシュパーニ、中野振一郎などをはじめとする演奏家たち
の活動によって、他のバッハ一族と共に再評価の動きが非常に高まっている注
目の作曲家でもあります。今回収録されているのは、1770年代に作られた3曲の
鍵盤協奏曲。強弱のコントラスト鮮やかな旋律美、目まぐるしく変転していく
曲調、刺激的なリズム…J.S.バッハともハイドンとも似て非なる、C.P.E.バッ
ハならではの刺激的な音楽世界をたっぷりと堪能できます。
第1弾(98 639)に引き続き、演奏は知性派ピアニストのミヒャエル・リシェ&
シュルト=イェンセン率いるライプツィヒ室内管。毅然とした演奏で、C.P.E.
バッハの鮮烈な音世界をセンセーショナルに聴かせてくれます。リシェといえ
ば、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第20番」の様々なカデンツァを同時収録し
たアルバムが一躍話題となるなど、近々は近現代レパートリーだけでなく古典
派の演奏でも注目を集めるピアニスト。今回も明晰で理知的な演奏で、オーケ
ストラと絶妙なアンサンブルを作り上げています。今回、カデンツァは全て
C.P.E.バッハ自作のものを使用。
●プレミアム・コンポーザーズ-
94 614 2枚組 ¥1980
プレミアム・コンポーザーズVol.13-ベルリオーズ
[CD1]
(1)ウェイヴァリーOp.1 H.26 (2)宗教裁判官Op.3 H.23d (3)リア王Op.4 H.53
(4)ロブ・ロイH.54 (5)ローマの謝肉祭Op.9 H.95 (6)海賊Op.21 H.101
[CD2]
幻想交響曲Op.14
[CD1]シルヴァン・カンブルラン(指揮)、
バーデン=バーデン&フライブルクSWR
[CD2]サー・ロジャー・ノリントン(指揮)、
SWRシュトゥットガルト放送交響楽団
録音:[CD1](1)(4)(6)2007年5月(2)2000年2月
(3)2003年2月フライブルク、コンツェルトハウス
(5)2002年1月バーデン=バーデン、祝祭劇場
[CD2] 2003年7月2-4日、シュトゥットガルト・リーダーハレ(ライヴ録音)
名盤をお買い得価格で再リリースするhaensslerの人気シリーズ、「プレミア
ム・コンポーザーズ」第13弾!ついに、フランス・ロマン派の大家ベルリオー
ズが登場です!何よりも注目なのは、これまでのシリーズの中でも一際目を引
く豪華なプログラム!カンブルラン&SWR南西ドイツ放送交響楽団の序曲集
(旧品盤:93 201)と、ノリントン&シュトゥットガルト放送交響楽団の幻想交
響曲ライヴ録音(旧品盤:93 103)を一つにまとめたファン必携の豪華収録内容
となっています。フランソワ=グザヴィエ・ロト&レ・シエクルの古楽器に
よる演奏が話題沸騰になったことも記憶に新しい「幻想交響曲」ですが、やは
り「幻想」といえば忘れてはならないのがノリントンによるピリオド演奏!
今回収録されているのは初のピリオド・アプローチから15年後、2002年のライ
ヴ録音になります。ノリノトンのメリハリのある指揮ぶりと、こだわりの対向
配置から生まれるサウンドはこの盤ならではの聴き所でしょう。一方、カンブ
ルランのアルバムは短めの序曲を集めた小品集。『ローマの謝肉祭』や『リア
王』など、聴き馴染みある作品の数々が収録されています。カンブルランの序
曲を“前プロ”に、ノリントンの「幻想」を“メイン”に聴く……夢のような
演奏会のひとときを楽しめる、お買い得盤です!
94 615 2枚組 ¥1980
プレミアム・コンポーザーズVol.14-J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲集
[CD1](1)第1番 ヘ長調BWV.1046 (2)第2番 ヘ長調BWV.1047
(3)第3番 ト長調BWV.1048
[CD2](1)第4番 ト長調BWV.1049 (2)第5番 ニ長調BWV.1050
(3)第6番 変ロ長調BWV.1051
ヘルムート・リリング(指揮)、オレゴン・バッハ祝祭室内管弦楽団
録音:1994年7月オレゴン州ユージーン,
ハルト・パフォーミング・アーツ・センター
リリング&オレゴン・バッハ祝祭室内管弦楽団によるJ.S.バッハの「ブランデ
ンブルク協奏曲集」(92 126)が、このたびお買い得価格になって再リリースさ
れる運びとなりました。第5弾としてプライスダウン再発された管弦楽組曲集
(94 605)に引き続き、今回もリリング監修の『J.S.バッハ大全集』(98 620)に
収録されているものと同録音となります。オレゴン大学音楽学部のメンバーと、
欧米の名手たちが集った精鋭オーケストラ「オレゴン・バッハ祝祭室内管弦楽
団」の精彩に富んだ演奏は絶品。リリング指揮の下織り成されていく清廉とし
たアンサンブルが爽やかで、モダン楽器のキレのある鮮烈な音色が、透明感の
ある煌びやかなハーモニーを生み出しています。アンサンブルだけでなく、金
管、木管、弦楽器、各楽器のソリストたちの洗練された妙技の数々もたっぷり
と堪能できるのもブランデンブルク協奏曲ならではの聴き所。これまでに多く
の名盤が残されてきた「ブランデンブルク協奏曲」ですが、リリングのこの録
音もそのひとつに名を連ねるにふさわしきものであると申せましょう。それだ
けに、今回の廉価盤に再発は嬉しい限り。未だリリング盤を聴いたことがない、
という方には特におすすめのアルバムです!
=SWR MUSIC=
93 292 10枚組 ¥7450
モノラル / ステレオ(DISC 10)
「カール・シューリヒト・コレクション第2集
/シュトゥットガルト放送交響楽団歴史的録音集1951-1966」
[CD 1](69’34”)
・ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調Op.
2025-01-12
『金時鐘 ずれの存在論』
金時鐘 ずれの存在論
作者:李 珍景
共和国
本書は、韓国の哲学者であり運動家の李珍景が、詩人金時鐘が生涯にわたってつくってきた数多くの詩を読み解きながら、思想を展開したものである。眼目はあくまで金時鐘の個々の詩の綿密な読解であって、著者の思想はその工程のなかで形成されていったものだといえよう。だからこれはまず、詩論として読まれるべき本だ。
しかし、筆者である私の力量不足のため、ここでは思想の展開のみを(それも、数多い論点の中から、特に私の関心をひいたものだけに限定して)追う形になるであろうことを、あらかじめことわっておきたい。
だが、そうはいっても、著者にとって金時鐘の詩を読み解くことは、次のような行為であったという。
『このような経験のなかでわたしは知ることとなった。詩を読むということは詩に巻きこまれることであり、詩人の霊魂に捉えられることである、と。それは詩人が投げかける謎に巻きこまれ、詩人の言葉に導かれ、闇のなかに入りこむことだ。その闇のなかで道を失い、手で見て鼻で聞き、手探りで出口を探すことだ。自分が生きてきた親しみのある世界の外へと出ていく門を探しもとめることだ。詩とともに、詩のなかで、自分の他者になることだ。(序 p008)』
著者は、金時鐘の詩と格闘しながら読み解くことのなかで、自身の生をこの詩人の生と響き合わせて、思想を深めていったのではないかと思う。
たとえば、「詩人にやってくる詩はどこからくるのか?」と題された第一章の初めのところでは、有名な作品「化石の夏」が引かれたあと、次のように語られるのだ。
『でもだれか諦念した人が一人いたということが、諦念するなにかがあったことを知らせてくれる最小の痕跡なのであれば、その諦念のなかになんとか残った望みは、その諦念によってなにかを呼びだしうる最小の磁力のようなものだ。それは存在を持続できる最小値であるがゆえに、最大値へと昇ってただちに消えてしまう声とは逆に、ひょっとすれば最大の時間を、「化石」をめぐる地質学的時間を耐えて存在を持続するというような時間ではないか?わたしもそのようにもうひとつの石になりうるならば、石のなかに隠れてだれかを待つ小さな秘密でありえたならば・・・・。(p028)』
この最後のセンテンスで、著者は自分の生の切実な願いを、金時鐘の詩に込められた(と著者が捉えた)詩人の生の姿勢にそっと重ねているが、その仕草は、この本全体の成り立ちを暗示するものでもあるだろう。
続く第二章で語られるのは、その詩人の「生の姿勢」についてだ。
『かれの生を少しでも覗いたことのある人であれば、かれが書いたもの以上にかれが生きぬいたものが詩であったことを簡単に首肯できる。私にとってそれは実に驚嘆すべき詩であった。この驚嘆が、時代精神に逆らい、詩に対して「真実性」を述べ、詩を述べねばならないと要求する田舎者の愚行を行なわさせる。真摯に聞いたとしても過去の時間のなかに押しやってしまいがちな馬鹿みたいな要求を、この軽々しく足早なシミュラークルの時代に繰り返させる。ひとり、心のなかで繰り返させる。(p83)』
著者は、このような詩人の生の姿勢を「生の真実性」と呼ぶのだが、さらに、生の真実性とは「存在を賭けること」に他ならないと断言する。そして、こう述べる。
『存在を賭けることは死ではなく生を賭けることだ。生自体を賭けることだ。生を賭けることは生きている時間の持続を耐えぬくことであり、その持続する時間のあいだ近づいてくるあらゆる事態を耐えぬくことだ。生を否定しようとする多くの反動的な力に立ちむかい、生を押しひろげることだ。(p084~085)』
このことについては、最後にややくわしく論じることにしたい。
長編詩『新潟』を論じた第三章では、存在論という著者の最も重要なテーマが、姿を現わしてくる。
ここで著者が構想する存在論における「存在」は、ハイデガーのそれとは全く違う。
李珍景の考える「存在」は、規定されることに抵抗し、同一性への包摂を不可能にするような「力」として存在者にやって来るものである。それについて、ファノンを引きながらこのように述べられる。
『かれが述べる存在論という言葉を深刻に受け止めるならば、存在論とは黒人という規定に対して、「そこにはわたしがいない!」と言うことから開始する抗議として始まる。存在とはこのようにして或る対象的規定性を消しさる力であるという点で未規定性であり、それと異なる規定性に向かって開いておかせる力であるという点で無数の規定可能性だ。(p101~102)』
『ファノンだけであろうか?皇国少年という存在規定、在日朝鮮人という存在規定、共産党員や総連活動家という存在規定について金時鐘もまた「そこにはいつも私がいないのである」と言ったのではないだろうか?存在はつねに或る規定に抵抗する「そこに-いない」を通して、ひとつの規定のなかに閉じこめる同一性に対する拒絶の沈黙を通して述べる。このような点で存在論はあらゆる規定に対する抵抗であり、あらゆる「そこ」を抜けでる離脱であり、あらゆる同一性を横断する運動だ。(p102)』
そして、こう宣言される。
『存在者たちの世界から存在自体に向かって目をむけ、自分の生を変えていこうとする思惟を存在論だというならば、存在論とは拒絶された者たちのものだ。(p153)』
この一節は、本書を読み進めていくうえでの鍵となるものだろう。
続く第四章では『猪飼野詩集』が論じられるが、そこではまさに、支配的な外部の集団から差別や同情の対象として眼差しを向けられ規定されることを拒絶する、「猪飼野」の人々の抵抗する生の在り様が表現されていると思われる。
ただ、この抵抗の力は、金時鐘の詩においては、ある独特の積極的な形態をとって現われていることを、著者は強調する。それは、(「傷」に対比されるものとしての)「痣」という形においてである。「これらの詩では人々の傷が表現されている」と言う代わりに、「これらは痣の記録だ」と、著者は言うわけである。
『『猪飼野詩集』は笑いながら書いたいくつもの痣の記録だ。(中略)痣と傷の差異は心との関係にある。傷は心に貼りつき剥がれないものであり、痣は心に貼りつかないものだ。傷が心に貼りつく衝撃であれば、痣は身体に沁みこんだ衝突だ。傷は感情や心を引きこんで離してくれない。自分の心も、他人の心も、フロイトが述べたように、自分の傷に捕えられるとき、心の動きはその傷に固着する。固着した心は症状的行為を生みだす。(中略)傷とは外部とのぶつかりや衝突を、「かれら」がわたしに加えた「加害」としてのみ表象する被害者の言語であり、そのぶつかりのなかで自分をつねに一方的に「被害」の身体的無力性のなかに閉じこめる感情の記憶だ。(p234~p235)』
『傷と痣が異なるように、傷が心に貼りつくように、怨恨や憎悪は対象に貼りつく。(中略)怨恨と憎悪は対象に貼りつくだけに、私自身にも貼りつく。対象とわたし、「かれら」とわたしが相異なる関係のなかで再び出会う可能性を極小化し、わたしの存在理由を「かれら」の否定と同一視することになる。(p237)』
つまり、「傷」というメタファは「怨恨」や「憎悪」と同様に、心に結びつくことで、わたしの身体的な力能を(「被害者化」等の仕方によって)「無力化」し、また「極小化」(アトム化)する(著者がネット社会の現状を頭に置いていることは明らかだろう)。「傷」や「トラウマ」「被害者(化)」といったロジックがもたらす、こうした危険への(「アンチ・オイディプス」的ともいえる)批判は、本書の他の箇所でも繰り返される。
それに対して、(『猪飼野詩集』に描かれた)「痣」というものが開示してくれるのは、以下のような事実であり道筋なのである。
『自らを肯定する者がどうして自分をたんに無力な被害者としてのみ考えることができるというのか。一方的に行使された権力によるものであれ、避けえないままのしかかってきたものによるのであれ、痣はたんに一方的に受けた傷ではない。それはわたしがいなかったらありえない、わたしの存在がかれらにぶつかっていった出来事の痕跡でもある。痣はそのように覆いかぶさってきたものに対してわたしもまたぶつかってやるのだと、その力を耐えぬいて、それをもってその力に対して或る摩擦力を、意図があろうがなかろうが、ある抵抗の力を行使した結果だ。そのような抵抗の力がないならば、ぶつかることもなく、痣もない。痣はかれらがわたしに押しはいってきた力の痕跡であるが、それと同時にわたしがかれらにぶつかって耐えぬいた、あるいはぶつかっていった力の痕跡だ。(p241~242)』
著者の言う「痣」や「笑い」が、差別や無力化の陥穽をはねのけ、生を肯定する力の表現であることは明白だろう。
第五章における『光州詩片』の読解と論述は、本書の白眉とおもえるほどに見事なものだ。
そこでは、『光州詩片』の構成に沿って、まず出来事以前の「事態」としての光州事態の表現、次いで詩人のきわめて特異なやり方によるその「出来事化」が、綿密な読解によって論じられた末に、流れゆく「褪せる時間」のなかに詩人によって凝結されて「襞」のように埋め込まれたその出来事が、政治的・軍事的暴力による抑圧と、日々の忘却の力に抗して、いかにして『こともなげな』私たちの日常を、いや、この「世界」を揺さぶろうとするかが語られる。
『そこから始めるのだ。すべて消してしまっても消しえない或るもの、褪せた時間のなかに消されないまま隠れているもの、闇のなかの影、そのすべてを率いる凝結された感応、おそらくそれは「花弁/一つ」のように小さい、或るものだろう。消せば消すほど凝縮され小さくなった、しかしそれであるだけに鮮明で赤い花弁であろう。それを捉えるくもの巣を「にびいろの眼におそい朝をにじませて/ゆれるともなくたわ」ませる、或る力が始まる小さな点なのだろう。(p325)』
『光州事態を出来事化するということは、その関係を切らずに持続するためだ。新しい関係をつくりだすためだ。死者たちによって生者たちが新しい生を生きねばならない。そうすることをもって死者たちは生者たちの生のなかで生きつづけることになるだろう。生者も死者も「生かされた」生ではない「生きる」生、あるいは「生きぬく」生を生きるためのものだ。
(中略)その出来事化の結び目は、このように冥福を祈らず、死者を冥界に送るなということだ。敢えて冤鬼にして彷徨わせようということだ。「生者」たちが闊歩するこの都市のなかを彷徨わせ、かれらをして忘れられなくさせ、そうすることをもって忘却の平穏な秩序を絶えず威嚇する、国じゅうあふれて彷徨う大気になさしめよ、それのみが冤鬼をきちんと解きほぐす方法であり、死者たちをきちんと送りだす方法だということだ。(p337)』
『そうすることをもって詩人は出来事にのせられてきたその闇の力を、その世界が耐えうるのかを問う。出来事のそこに隠されている石のように凝縮された悲鳴と、刀のように凝縮された怨恨を、こともなくみえるその世界が耐えうるのかを問う。かの冤鬼たちの悲鳴を、その世界が耐えうるのかを問うのだ。こともないように平和な世界とは、じっさいそれを隠し抑圧することで維持されているとあらわにするのだ。ある意味では幽霊のようで、ある意味では石のような事態の重みで安定した意味の地平を壊し、断固かつ猛烈な沈黙で、容易くつくられた平穏を壊すのだ。(p351)』
詩集『化石の夏』をとりあげた第六章では、本書の表題である「ずれの存在論」の輪郭が、よりはっきりと示される。
『存在論は拒絶された者たちの思惟だ。拒絶されたが去りえない者たちが、その拒絶と去りえなさの間隙の困惑で、その困惑を耐えて存在せねばならない場所で、抱えることになる思惟だ。拒絶の距離を置いて見ている他人たちの視線にたいして、「知られていなかった者」としての自分を見る視線であり、かれらの視線がつくりだす「対象」と、その視線が見ることのできない自分の「存在」のあいだの間隙を見る視線だ。(p356)』
『ふたつの世界のずれを受け入れるということは、ふたつの世界すべてが簡単に投げ捨てることのできない自分の一部であることを受けいれるという意味だ。(中略)ずれはあちこちにあるが、ずれに対する存在論的思惟はそうではない。その思惟とは、そのずれを耐えて存在しようとする者の思惟だ。(p363)』
『失くした季節』を論じる最後の第七章では、とくに時間というテーマに重点が置かれる。
著者は、この詩集の作品に書きこまれた、流れ去る「この世界」の時間に抵抗するように詩人を(そして読者を)見守りつづける「沈んだ時間」の重要性について論じる。
『沈んだ時間はその光り輝く時間の陰で口を開いたまま存在を持続している。きっと沈めた者を見守っているのだ。だからといって特別な目的や期待を持って見守っているのではない。そこに存在しつつ、ただ見守っているのだ。沈めておいた者の視線とぶつかる「いつか」を待って、口を大きく広げて。(p449)』
ここでいう「沈んだ時間」とは、日常の「この世界」を生きるわたしたちの外部に存在するものだ。こちらを「見守っている」その眼差しは、『ただ凝視しているだけの言葉なき受動性』(p460)とも書かれるが、私には、それは死者の目線のように思える。それは常に「沈めた者」を、つまりこの世界の日常を「こともなげに」生きるわたしたちを見守っている。
ただし、その「受動性」は、決して消極的なものでも無力なものでもないことが重要だ。
著者は、靖国神社の祭祀によって呼びだされるものが、『現働の現実を変える過去ではなく、それを強化し保存する過去』(p468)だと批判した後、次のように書いている。
『金時鐘のように止まった時間を持った者たちは、これと反対に「過去的な」理由によって現実へ戻ってくることのできない者たちだ。止まった過去によって現実を生きても別の現実を生きるしかない者たちだ。止まった時間はそのように現在を変える過去であり、現実を変えるやり方で割りこむ過去だ。(p468~469)』
この時間(過去)は、トラウマのように人を過去へと縛りつけるものではなく、現在に介入し、現在(この世界)の変革を促す、いわば関与的で積極的な過去なのだ。それを死者に結びつけるなら、われわれの現実に変革的に関わってくる活力ある幽霊たち、とでも呼べばよいか。
最後に、先に述べたように、第二章での「存在を賭けること」の議論について、私見を記しておきたい。
もう一度引用する。
『存在を賭けることは死ではなく生を賭けることだ。生自体を賭けることだ。生を賭けることは生きている時間の持続を耐えぬくことであり、その持続する時間のあいだ近づいてくるあらゆる事態を耐えぬくことだ。生を否定しようとする多くの反動的な力に立ちむかい、生を押しひろげることだ。(p084~085)』
また、こうも書かれている。
『「存在を賭ける」ということは、命を賭けるのではなく最善を尽くして生きることだ。死にむかって先駆するのではなく、むしろ死んだほうが楽なような状況のなかでも最善を尽くして「生きる」ことだ。生きるために甘受せねばならない苦痛を耐えぬき、生きつづけることであり、行動しつづけることであり、存在を持続しつづけることだ。(p89)』
このような著者の言葉の背後には、1980年代初めからの著者の運動圏での体験が濃い影を落としていることは、訳者のあとがきで述べられている通りなのであろう(そもそもこの作品が書かれた背景には、訳者をはじめとする人々による金時鐘の詩の翻訳という困難な作業のあったことを、ここで付言しておきたい)。
そのうえで私が思うのは、著者の立場は「生命」に原理的な価値を置き、いかなる場合でも「死」という生の行為を否定するというところには無いはずだ、ということである。著者の真意は、あくまでも「生を否定しようとする多くの反動的な力」への抵抗ということであって、何らかの「弱さ」(あえて、こう言うのだが)ゆえに死を選ぶということまで否定することにはないだろう。実際、著者が大きな影響を受けているというジル・ドゥルーズも自死を選んだことを、私は想起している。
上記の文章は、「耐えぬく」強さへの称賛ではなく、「耐えぬく」ことを貶めたり困難にする諸力への怒りの表明として読みたいのである。
Arisan 2025-01-12 19:54 読者になる
アレグラのCM ヘリウム声の吉高由里子が新しく加わって、ひとりだけ浮い ..
1575-1626)、G.ヴァレンティーニ
(1582/83-1649)、著名なオルガニストだったF.M.フローベルガー(1616-1667)と
いった今日にも名を残す音楽家から、W.エブナー(1611/12-1665)やA.ポリエッ
ティといった中々お目にかかれない作曲家の作品、さらには皇帝レオポルド1世
自身の作品にいたるまで、まさに“ウィーン宮尽くし”のプログラムです。オ
ルガン付のグレゴリオ聖歌、モテットやカンツォーネといった声楽曲、カッコウ
や鶏などの動物の鳴き声を模した愉しい器楽曲、とジャンルも様々。
収録場所のムーリ修道院はハプスブルク家によって1027年に創立されたという
ことで、ウィーン宮廷とも縁深い地。サラウンド効果を狙った楽器配置は今回
も行われており、SACDハイブリッドの高音質で堪能できるのも本シリーズお馴
染みの魅力。第4弾(AU 92573)で素晴らしい音色を聴かせてくれたムーリ修道院
のオルガンの響きも必聴です!
AU 92672(SACD-Hybrid) ¥2300
2台のピアノのためのフレンチ・ミュージック
(1)ミヨー:スカラムーシュop.165b
(2)ラヴェル:スペイン狂詩曲(2台のピアノのための編曲版)
(3)ビゼー:子供の遊び(全曲)op.22
プーランク:(4)2台のピアノのためのソナタ (5)エレジー
モナ&リカ・バード(Pf)
録音:2011年25-28日、ジーメンス・ヴィラ(ベルリン)
ドイツ、イタリアをはじめ数々の国際コンクール連弾部門で入賞を重ね、世界
から注目を集めている新進気鋭の姉妹デュオ、モナ&リカ・バードが待望の1st
アルバムをリリースしました!彼女たちが記念すべき1stアルバムのために選ん
だのは、ビゼーからプーランクにいたる連弾作品を集めた19世紀-20世紀のオー
ル・フランス・プログラム。ラヴェルの「スペイン狂詩曲」とビゼーの「子供
の遊び」は管弦組曲としても知られる作品。音色の幅では流石に勝てないとし
ても、ピアノ2台(ビゼーの作品は1台)から生み出されているとは思えないほど
の壮大な音世界をSACDハイブリットの高音質でたっぷりと堪能できます。ミヨ
ーのスカラムーシュでは、ジャズ・セッションも思わせるウィットの利いた愉
しい掛け合いが魅力的!連弾最大の聴きどころである演奏者2人のコンビネー
ションだけでなく、多彩な表現力に存分に魅せられるプログラムといえましょ
う。モナ&リカ・バードは姉妹ならではの息の合ったコンビネーションで、素
晴らしいユニゾンと絶妙な掛け合いを魅せてくれます。すでにヨーロッパだけ
でなくアジア、アメリカにも活動地域を広げているモナ&リカ・バード姉妹。
今後の活躍にも期待必至の注目アーティストです!
<THE CHOIR OF KING’S COLLEGE>
-新規レーベル-
このたび、500年以上の歴史を誇るイギリスの名門合唱団、ケンブリッジ・キン
グズ・カレッジ合唱団の自主レーベル≪THE CHOIR OF KING’S COLLEGE≫の取
り扱いを開始いたします!中世聖歌から近現代の合唱曲にいたる幅広いレパー
トリーを持つ合唱団ならではの多彩なプログラムを、世界から絶賛を浴びる煌
びやかな歌声と共に発信するレーベルです。
KGS 0001 2枚組 ¥1650
9つの聖務日課の祈りとキャロル集
[CD1]
1.讃美歌:ダビデの村の厩の内に 2.招祷(Bidding Prayers)
3.イギリスの伝承曲(R.V.ウィリアムズ編):ヘレフォード・キャロル
4.第1日課の祈り 5.B.オード:囚われのアダムは横たわり
6.イギリスの伝承曲(クレオベリー編):この上なく清き乙女
7.第2日課の祈り 8.ドイツの伝承曲(ピアサル編):諸人声あげ
9.トランチウェル:もしも天使の歌声を聴いたなら 10.第3課の祈り
11.イギリスの伝承曲(P.レジャー編) 12.讃美歌:「世の人忘るな」
13.第4課の祈り 14ゴールドシュミット:やわらかな若枝
15.プレトリウス(サンドシュトルム編):讃美歌「一輪のバラが咲いて」
16.第5課の祈り 17.ヴィレット:聖母マリアへの讃美歌
18.ハーフォード:陽のあたる土手 19.第6課の祈り
20.レーガー:マリアの子守唄
21.フランスの伝承曲(J.ニクソン編):柊と蔦は
[CD2]
1.第7課 2.讃美歌:「羊飼いたちが」
3.J.ワイア:光を放て、イェルサレムよ 4.第8課
5.ラウタヴァーラ:クリスマスキャロル
6.16世紀フランスの伝承曲:ディンドン空高く 7.第9課
8.
106(原典版)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
ギュンター・ヴァント(指揮)
録音:1999年6月24日ミュンヘン、ガスタイク(ライヴ)
「ヴァントの良さはスケルツォ以後で、(中略)スケルツォの宇宙のひびき、各
楽器のフレッシュな色の出し方、まことに美しくも意味深い。中間部では木管
による第5番のテーマの高級なフレージングに打たれた。フィナーレもまこと
に綿密である。抉りの効いた強音部と思いやりにみちた弱音部の歌が対比され、
第2主題の提示から展開部にかけては息もつかせない。内容の深さと音楽美が、
いつもブルックナーの音楽の森羅万象を語りかけてゆく。」
音楽評論家・宇野功芳氏(「レコード芸術」2010年1月号)
<Euro Arts>
20 01828(DVD-Video) ¥2180
字幕:英独仏伊
ルッジェーロ・ライモンディ
/私のお気に入りのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」
ルッジェーロ・ライモンディ(Bs-Br)
リッカルド・シャイー(指)ボローニャ市立劇場管弦楽団
ルカ・ロンコーニ(演出)他
偉大なイタリア人バス=バリトン、ルッジェーロ・ライモンディは、レパート
リーが広いことでも知られていますが、中でもドン・ジョヴァンニは当たり役
の一つ。この映像では、彼の生まれ故郷ボローニャでの「ドン・ジョヴァンニ」
(ルカ・ロンコーニ演出)の上演を軸に、ライモンディのドン・ジョヴァンニ観
を明らかにしています。
20 59094(Blu-Ray) ¥4250
20 59098(DVD-Video) 2枚組(2DVD) ¥4250
95’(コンサート)+52’(ドキュメンタリー)
字幕(ドキュメンタリー):日英独仏ヘブライ
イスラエル・フィル75周年記念コンサート&ドキュメンタリー
(1)ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調Op.93
(2)サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソOp.28
(3)ショーソン:詩曲Op.25
(4)ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調Op.11
+ドキュメンタリー: 「カミング・ホーム」(ヤーノシュ・ダルヴァシュ監督)
ジュリアン・ラクリン(2)、ワジム・レーピン(3)(Vn)、
エフゲニー・キーシン(4)(Pf)
ズビン・メータ(指)イスラエル・フィル
[2011年12月/テルアヴィヴ、ハンガー11(ライヴ)]
ヴァイオリニストのフーベルマンの呼びかけで、ヨーロッパのユダヤ系音楽家
たちがパレスチナに建設したオーケストラがトスカニーニの指揮で初披露され
たのが1936年12月26日。それが今日のイスラエル・フィルとなり、2011年に創
立75周年を迎えました。それを祝い昨年12月に行われたコンサートをライヴ収
録しました。同オーケストラ終身音楽監督を務めるズビン・メータが全曲の指
揮を務め、ベートーヴェンの交響曲第8番のほか、ロシア出身のユダヤ系スター
3名、ジュリアン・ラクリンがサン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオー
ソ」、ワジム・レーピンがショーソンの「詩曲」、エフゲニー・キーシンが
ショパンの「ピアノ協奏曲第1番」を披露するという超豪華プログラム。3者と
も渾身の熱演で、観客の熱狂ぶりが感動的です。
さらに興味深いのが、ヤーノシュ・ダルヴァシュ監督による「カミング・ホー
ム」と題されたドキュメンタリー。イスラエル・フィル創設を軸に、イスラエ
ルの歴史と20世紀にユダヤ人が被った悲劇も盛り込まれ見応え満点。イスラエ
ル・フィルの歴史では、ラジオのインタビューや個人が撮影したホームムービ
ーなど、オーケストラの資料室からだけでなく個人コレクションも多数使用し
たお宝満載の資料となっています。出演者もトスカニーニ、アルトゥール・ル
ビンシュタイン、バーンスタイン、アイザック・スターン、メータ、バレンボ
イムのオールスター・キャスト。もちろん現役の若手の証言も含め、この高性
能オーケストラの全貌を明らかにする必見映像です。
20 58594(Blu-Ray) ¥4250
20 58598(DVD-Video) ¥2900
パールマン、イスラエル・フィルを振る
ベートーヴェン:
(1)エグモント序曲
(2)ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲Op.56
(3)交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」
ジオラ・シュミット(Vn)、ズィル・ベイリー(Vc)、ナヴァ・パールマン(Pf)、
イツァーク・パールマン(指)イスラエル・フィル
[録音:2010年3月/テルアヴィヴ、マン・オーディトリアム(ライヴ)]
その美音とテクニックに加え明るい音楽性ゆえ、1970年代のアイドルだったイ
ツァーク・パールマン。彼も60歳代半ばを越え、巨匠への道を進んでいます。
今回はヴァイオリンから離れ、指揮者としてイスラエル・フィルを振っていま
す。オール・ベートーヴェンという充実のプログラム。三重協奏曲では、彼の
愛娘ナヴァほか子どもたちの年代を独奏者に迎え、人間味あふれる美しい世界
を作り上げています。メインの田園交響曲もパールマンならではの明るく健康
的な音楽性が横溢。それも意外な鼓舞と喚起に満ちていて、まさに元気を与え
てくれる演奏となっています。弦楽器の雄弁な歌わせ方はさすがヴァイオリン
のヴィルトゥオーゾ、イスラエル・フィルの弦の響きに酔わされます。
<ALTUS>
ALTSA 138(SACDシングルレイヤー) ¥3500
ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調
セルジュ・チェリビダッケ(指揮)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1986年10月22日、サントリーホール、ライヴ録音
録音:FM東京 音源提供:KAJIMOTO
CDでベストセラーを続けているサントリーホールでのブル5がついにSACDで登
場。SACD化により1枚で収録可能となりCDよりもお買得価格に。なによりもSACD
用の新マスタリングにより美しい音の余韻などより魅力がましました。圧倒的
高揚感がすばらしい。
1986年はサントリーホールの開館の年でもあり、ヨッフム、コンセルトヘボウ
も来日して名演のブルックナー7番(ALTSA015)を残し当時チェリかヨッフムかと
大いに世間を騒がしました。音楽評論界穏健派の重鎮岡本稔氏も「これほど再
現性の高いチェリビダッケの録音は数少ないというのが率直な印象だ。ここに
真のチェリビダッケの芸術と呼ぶにふさわしい音の記録が残されている」と手
ばなしの模様でございます。
ALTSA 183(SACDシングルレイヤー) ¥3500
ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調 WAB108
セルジュ・チェリビダッケ(指揮)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1990年10月20日、サントリーホール、ライヴ録音
録音:NHK 使用音源:NHK FMの音声専用録音
まさに天空を登るかのようなコーダに茫然!怪物ティンパニスト、ペーター・
ザードロの実力を日本中に知らしめた有名演奏がついにSACDシングルレイヤー
で登場!また当SACDの使用音源は映像用の音源でなく音声専用音源であるFM放
送用録音を使用しており、その音質の良さが特徴です。SACD化により弱音の繊
細感など見事な仕上がりです。また今回、1枚に収まりCDよりお買得となりまし
た。『チェリビダッケとミュンヘン・フィルの響きは、残響豊かなサントリー
ホールでは実に美しく聞こえたものだった。明るさと適度の艶っぽさが印象的
だった。それはこの録音でも十分うかがい知ることができよう』
慶応大教授 許 光俊
※これらのディスクはSACD 対応プレーヤー専用ディスクです。通常のCDプレ
ーヤーでは再生することができません。
<Bel Air>
BAC 068(DVD-Video) ¥4950
字幕:英仏独西
ベルク:「ヴォツェック」
ゲオルク・ニグル(Br ヴォツェック)
マーディ・バイヤーズ(S マリー)
マキシム・パステル(T 大尉)
ピョートル・ミグノフ(Bs 医師)
ロマン・ムラヴィツキー(T鼓手長)
ロマン・シュラコフ(T アンドレス)
ヴァレリー・ギルマノフ(Bs 第一の徒弟)
ニコライ・カザンスキー(Br 第二の徒弟)
レオニード・ヴィレンスキー(T 白痴)
アレクサンドル・ネスポヴィティ(マリーの息子)
テオドール・クルレンツィス(指)ボリショイ劇場管弦楽団、合唱団
ディミトリ・チェルニャコフ(演出)
エレナ・ザイチェヴァ、ディミトリ・チェルニャコフ(舞台、衣装)
グレブ・フィリシチンスキー(照明)
収録:2010年11月、モスクワ
+ボーナス メイキング映像
注目の上演の映像が登場!今猛烈に冴えてキレまくっている鬼才ディミトリ・
チェルニャコフが、ベルクの傑作「ヴォツェック」を演出、期待に違わぬ見事
な出来栄えです。舞台は現代の中流集合住宅。12の住居(の一部屋が見られると
いう設定)と、1階には広いバー。ヴォツェックは集合住宅の一室に暮らす勤め
人風。大尉はアーミーオタク、医師はマッドサイエンティスト風、そしてヴォ
ツェックは徹頭徹尾狂いっぱなし。チェルニャコフは「日常の中に紛れ同居し
ている異常さ」を鋭く描いています。通常だとマリー殺害とヴォツェックの溺
死の後、緊張が急激に解けてしまうところを、チェルニャコフは彼らしい視点
で見るものを最後まで惹き付けさせてくれます。
舞台に負けず演奏がまた凄い。テオドール・クルレンツィスは、1972年2月24
日、ギリシャに生まれたまだ若い指揮者。2004年から2010年までノヴォシビル
スク歌劇場の首席指揮者を務め、その才能が大きな評判になりました。現在は
ペルミ・オペラ・バレエ劇場の音楽監督を務めています。将来のロシアの音楽
界を背負って立つこと間違いなしの逸材です。ボリショイ劇場ではこれが
「ヴォツェック」初演だそうですが、そうとは思えぬほどオーケストラを見事
に操り、切れ味鋭く緊張感のある音楽を作りつつ、必要な時にはお家芸のブラ
ス群をパワフルに爆発させて血走った音楽を鳴らす。これぞロシアン・ベルク!
ヴォツェック役のゲオルク・ニグルは、1972年、ウィーン生まれのバリトン。
かつてウィーン少年合唱団のスター・ソリストだった人で、変声後にバリトン
に転向、バロックオペラと現代オペラを両軸に活躍しています。ヴォツェック
はウィーンやミュンヘンでも歌っている得意の役柄。ここでは、普通の一般人
なのに完全に狂気に侵されているという役作りが見事です。マリー役のマー
ディ・バイヤーズは、米国出身のドラマティック・ソプラノ。アイーダやトス
カを得意とし、近年はワーグナーのソプラノ役も多く歌っています。この二人
以外は皆ボリショイ劇場で活躍する実力のあるロシア人歌手ですが、中には大
尉役のマキシム・パステルのようにビックリするほどうまい人もいます。
カーテンコールでの観客の大喝采まで一緒に楽しめます。
<harmonia mundi>
HMC 902135 ¥2450
+ボーナスDVD(NTSC/演奏風景+インタビュー 字幕:英・独・仏)
ナポリのフォリア-1725年
(1)ドメニコ・サッロ(1679-1744):協奏曲第11番 イ短調
(2)A.スカルラッティ(1660-1725):
パルティータ「スペインのフォリア」に基づく即興
(3)ニコラ・フィオレンツァ(1700(ca.)-1764):交響曲イ短調
(4)ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757):交響曲第1番 イ長調
(5)フランチェスコ・バルベッラ(1692-1732):協奏曲第3番 ハ長調
(6)フランチェスコ・マンチーニ(1672-1737):ソナタ第11番 ト短調
(7)レオナルド・レオ(1694-1744):協奏曲 ト長調
モーリス・シュテーガー(リコーダー)
フィオレンツァ・デ・ドナティス、アンドレア・ロニョーニ、
アナイ・チェン(ヴァイオリン)
マルギット・ウーベルラッカー(プサルテリウム)
北谷直樹(チェンバロ、オルガン)ほか
録音:2011年11月
1971年スイスのヴィンタール生まれ、リコーダーの天才モーリス・シュテーガ
ーの最新盤。シュテーガーは、チューリッヒ音楽大学にてパドロ・メメスドル
フとケース・ブッケに、シュトゥットガルトではマルクス・リードに師事し、
1995年にソリスト・ディプロマ“With Highest Honors”を、2002年にはカラ
ヤン賞を受賞するなど、輝かしい経歴を遺しています。ウィグモアホール、
ゲヴァントハウス、コンセルトヘボウなどで演奏会を重ねているほか、ベルリ
ン古楽アカデミーなどの古楽アンサンブルやモダン・オーケストラとも共演。
来日演奏も行っており、その技量と、舞台を縦横無尽に駆け回って演奏するパ
ワー溢れるパフォーマンスで聴衆を魅了しました。
なんといっても光るのが非常にダイナミックかつ華麗な音楽!リコーダーとい
う小さな楽器からこんなにも様々な音色と音型が飛び出してくるとは、とただ
ただ圧倒されます。バックで支えるアンサンブルのメンバーも、シュテーガー
と共演も多い北谷直樹(チェンバロ&オルガン)をはじめ、ツワモノぞろい。シュ
テーガーのめまぐるしく変わる表情に負けじとアグレッシブな音楽が展開され
ています!
タイトルにある1725年は、フリードリヒ大王のフルート教師を務めたことでも
歴史にその名を刻む名フルート奏者クヴァンツが、A.スカルラッティに会うた
めにナポリを訪れた年。クヴァンツは1月から3月までナポリに滞在、フルート
(リコーダー)の魅力をナポリの人々に広めるべく努めました。1725年以前、ナ
ポリでは声楽作品が非常に盛んで、リコーダー音楽はそれほど多く残されてい
ませんが、この1725年を境に、リコーダー音楽も多く書かれるようになりまし
た。これは、クヴァンツのナポリ訪問が大きなきっかけになったと考えられま
す。このCDに収録されている楽曲も、1725年前後の楽譜に基づいています。リ
コーダーという楽器の魅力を、歴史的にも興味深い切り口で鮮やかに提示して
くれている力作です。ボーナスDVDには、演奏風景や、シュテーガーがイタリ
アにおけるリコーダー音楽に語ったインタビュー映像が収録されています。
<audite>
AU 92674(SACD-Hybrid) ¥2300
ヴィエルヌ:
オルガン交響曲第1番ニ短調 op.14(1899)、
オルガン交響第2番ホ短調 op.20
ハンス=エーベルハルト・ロス(オルガン)
録音:2011年4月6-8日、メミンゲン、聖マルティン教会の大オルガン
オルガン作品の録音に定評のあるドイツauditeレーベルより2012年が歿後75周
年にあたるフランスの作曲家ルイ・ヴィエルヌ(1870-1937)が作曲したオルガン
交響曲の全曲録音するシリーズが開始しました。ヴィエルヌは先天性の白内障
のため生まれつき盲目に近かったのですが、6歳で弱視へ快復したと言われてい
ます。音楽的才能は幼少の頃に開花し、2歳でピアノ演奏を聴き、その場で聴い
た曲を弾いてみせた程の楽才を持ち合わせていました。1881年、ヴィエルヌが
11歳の時には国立パリ盲学校に進学し、その後ヴァイオリン、ピアノそしてオ
ルガン学び、とりわけオルガンは熱心に勉強しました。それはセザール・フラ
ンクが弾くオルガン演奏を聴いて感銘を受けてからで、その後ヴィエルヌはフ
ランクやオルガン交響曲第5番のトッカータが有名なシャルル=マリー・ヴィ
ドールなど、著名なオルガニストに師事をし、オルガン演奏及び作曲を習いま
した。やがて歿年までパリのノートル・ダム大聖堂の首席オルガニストを務め
ました。
ヴィエルヌは生涯6つのオルガン交響曲を残しました。当シリーズでは2曲ずつ、
計3枚でリリース予定です。第1弾となる当アルバムは交響曲第1番ニ短調 op.14
と第2番ホ短調 op.20です。1898年作曲の第1番は師のヴィドールの影響から作
曲された6楽章からなる大作です。一方交響曲第2番は第5楽章構成で、ロマン
ティックで非常に色彩に富んだ素晴らしい作品です。
演奏のハンス=エーベルハルト・ロスは数々の国際コンクール受賞歴を持つ逸
材で、auditeレーベルからフランクのオルガン作品集を(AU 21413)をリリース、
非常に高い評価を得ています。当シリーズはSACD hybridとなりますので、オル
ガンの響きをより楽しめるアルバムとなっております。
<Classic Concert Records>
CCR 62016 ¥1980
ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767):
フーガ ト短調/コラール「ああ主よ、哀れなる罪人われを」
コラール「いと高きにある神にのみ栄光あれ」/フーガ ハ長調
コラール「キリストは死の縄目につながれたり」/フーガ ハ短調
コラール「天にいますわれらの父よ」/協奏曲 ト長調
コラール「来たれ聖霊、わが主」/フーガ ホ短調/幻想曲 ニ長調
ジョルジオ・レヴェリ(オルガン:ゲリエ制作のオルガン)
録音:2011年、オフヴィラー、フランス
後期バロックのドイツの大作曲家、ゲオルク・フィリップ・テレマンのオルガ
ン作品集。早熟で多作だったテレマンは、生前J.S.バッハをしのぐ名声を博し
ていたと言われています。G.P.テレマンは様々な音楽形態の作品を残しました
が、なかでも自信が得意だったオルガン、ハープシコード作品は小曲ながら素
晴らしい作品を残しています。ここに収録された作品はコラール、フーガ、協
奏曲で、同時代を生きたバッハの作品と比較しても面白い内容となっておりま
す。
<KII>国内仕様盤
KKC 5234 ¥3000
[harmonia mundi France]
HMC 902091
輸入盤・日本語解説書付
「ディアベッリ変奏曲」
・アントン・ディアベッリのワルツ主題に基づく 50の変奏より
(1824年出版、ウィーン)
ディアベッリ(1781-1858):
テーマ/ツェルニー:変奏IV/フンメル:変奏XVI
カルクブレンナー:変奏 XVIII/ケルツコフスキー:変奏XX
クロイツァー:変奏XXI/リスト :変奏XXVI/モシェレス:変奏 XXVI
ヨハン・ペーター・ピクシス:変奏 XXXI/F.X.W.モーツァルト:変奏 XXVIII
F.シューベルト:変奏 XXXVIII
・アンドレアス・シュタイアー:‘イントロダクション’
・ベートーヴェン:ディアベッリ変奏曲 op.120 (全曲)
アンドレアス・シュタイアー(フォルテピアノ/コンラート・グラーフモデル)
録音:2012年9月/テルデックス・スタジオ(ベルリン)
KKC 5235 ¥3000
[harmonia mundi France]
HMC 902106
輸入盤・日本語解説書付
シューベルト:弦楽五重奏曲ハ長調 D 956
アルカント・カルテット〔アンティエ・ヴァイトハース(第1ヴァイオリン)、
ダニエル・ゼペック(第2ヴァイオリン)、タベア・ツィンマーマン(ヴィオラ)、
ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)〕
オリヴィエ・マロン(第2チェロ)
録音:2 010年12月13-16日
KKC 5236/39 4枚組 ¥6500
[naive] V 5299
輸入盤・日本語解説書付
シューベルト:交響曲全集
[CD1] 第3番ニ長調D 200(1815)、第1番ニ長調D 82(1813)、
第2番変ロ長調D 125(1814-1815)
[CD2] 第5番変ロ長調D 485(1816)、第4番ハ短調D 417「悲劇的」(1816)
[CD3] 第7番ロ短調D 759「未完成」(1822)、第6番ハ長調D 589(1817-1828)
[CD4] 第8番ハ長調D 944「ザ・グレート」(1825?-1828)
マルク・ミンコフスキ(指揮)、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル―グルノーブル
録音: 2012年3月/ウィーン・コンツェルトハウスでのライヴ録音
*交響曲のナンバリングおよび演奏は、ベーレンライター版による
KKC 5240(SACD-Hybrid) ¥3000
[LSO Live] LSO 0716
輸入盤・日本語解説書付
ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調 WAB.
CMでバス通勤 「アレジオン20」の新イメージキャラクターに
2025.01.13
ロサンゼルス大火
2025年1月7日、ロサンゼルス郡パシフィック・パリセーズ近郊で発生した山火事は、発生からわずか数時間で周辺地域に広がり、未曾有の被害をもたらした。この火災による焼失面積は約36,000エーカーに及び、リバーサイド郡やベンチュラ郡にも延焼している。18万人以上が避難を余儀なくされ、12,000棟以上の建物が損壊した。特にパリセーズ火災では1,000棟以上の住宅が焼失し、停電や経済活動の停滞といった二次的被害も発生した。
発生原因はまだ特定されていないが、送電線の管理不備や倒木による断線など、人為的要因が関係している可能性が指摘されている。背景となる条件としては、エルニーニョ現象による豪雨が植生の繁茂をもたらし、その後の猛暑で乾燥した植物は格好の燃料となっていた。さらに、ハリケーン並みの強風を伴うサンタアナ風が、火の粉を数マイル先に飛ばし、新たな火点を生む結果となった。
ロサンゼルスはこれまで防災先進都市として数々の対策を行ってきたが、今回の火災では、自然要因とインフラの脆弱性が重なり、被害は予想を上回る規模となった。現地の消防隊は65台の消防車、7機のヘリコプター、7台の給水車を投入し、連邦レベルの支援も加わったが、延焼速度に対応しきれなかった。被災者は当初消火設備で自宅を守ろうと奮闘したが、隣家は一瞬で炎に包まれたという。このような現場の証言は、災害対応の限界を示す一例である。
防げない自然災害
2025年のロサンゼルス火災について、専門家たちは「完全に防ぐことはできなかった」という見解を示しているようだ。もちろん定番的に言及される背景には、長期化する気候変動の影響がある。高温・乾燥化の進行により、火災シーズンが従来よりも長期化し、頻度も増加している。今回の火災では、異常な豪雨によって成長した植生が猛暑によって乾燥し、火災の燃料となった。このような大局的な見地から見た自然現象は、人間の制御を超えたものである。
個別の気象条件もあった。カリフォルニア特有のサンタアナ風は火災制御の難易度を飛躍的に上げる要因であった。時速100マイルに達するこの強風は、火の粉を遠方に運び、複数の火点を生む。これにより同時多発的な火災が発生し、対応が後手に回らざるを得なかったのだ。たとえ膨大な消防リソースを投入したとしても、このような状況下では鎮火はそもそも困難であったと見られる。
事後の見解としては、この地域の建築構造も課題ではあった。ロサンゼルスの住宅の多くは、地震対策を優先した木造構造で建設されており、火災には脆弱である。現代の耐火技術や防火帯の設置が進められているとはいえ、気候変動がもたらす災害に対しては依然として不十分であった。ロサンゼルス消防局長は「1000台の消防車があったとしても、すべてを制御するのは不可能だった」と述べている。
人的要因を減らすための送電線管理や監視システムの導入などは確かに重要な施策であるが、こうした大規模火災を完全に防ぐことは容易ではない。
適応が考慮される
ロサンゼルス大火は「防ぐことのできない自然災害がある」という現実をまた一つ浮き彫りにしたと考えたい。科学技術の進歩によって多くの災害は抑止が可能となったが、基本的にロサンゼルスのような都市部と自然が接する地域では、火災リスクをゼロにすることは難しい。都市部の拡張や人口増加は、防火帯の設置を難しくし、火災発生時には被害を拡大する要因ともなる。さらに、地球温暖化による気温上昇と乾燥化が進行する中、山火事シーズンは長期化しており、災害発生の頻度は増え続けている。
住民たちは避難計画や防災キットを備え、災害訓練を受けているが、大規模な災害自体を防ぐことは困難である。送電線の地下化や耐火建築の推進は進められているが、そのコストや技術的課題は無視できない。低所得層にとって、これらの防災対策を導入するハードルは高く、経済支援の整備が不可欠である。
今回のような大規模な自然災害の完全な抑止が不可能である以上、私たちは「適応」という価値観を新しく築かざるを得ない。科学技術や政策強化による被害の最小化は必須だが、すべてを制御できると考えることは幻想である。ロサンゼルス火災は、防災の限界を突きつけた一例であり、自然の脅威に対する新たな対応策を模索する必要性を示唆している。今後被害者の数は増えるかもしれないが、これほどの大規模の災害であっても、大地震や津波がもたらすほどの人的な被害は出なかった。そのこと自体がすでに、適応の現段階にあると言える。
2025.01.13 | 固定リンク
しかし、諸行無常。1990年代後半から駄菓子の市場環境は大きく変化し始めた。ポテトチップスをはじめとする多種多様なスナックが台頭した。1995年10月23日、新潟県で初めて発売された「じゃがりこ」は衝撃的で、この日は「じゃがりこの日」として、1987年の7月6日の「サラダ記念日」に次いで庶民の祝日となったものだった(嘘)。時代はまず若者から変える。若年層を中心にポテトチップもカールも、「手が汚れる」「味が濃すぎる」といった声も聞かれるようになった(嘘)。そして、次第に駄菓子売り場でカールは存在感を失い、明治は広告費の削減などのコスト見直しを行ったが、ボディコン(誤字)が語られ、そして2017年5月、ついに「カール」の東日本市場からの撤退が発表された。市場を「カールショック」が襲った。このニュースはSNSを中心に大きな反響を呼び、「もう一度食べたい」「子どもの頃を思い出す味がなくなる」といった声が投稿され、スーパーでは「最後のカール」を買い求める人々で売り場が埋め尽くされた。
«Facebookへのバイデン政権の言論圧力
2025-01-11
『ドラえもん』「オオカミ一家」の源流にある光景
1月4日(土)放送のアニメ『ドラえもん』で「オオカミ一家」が新たにアニメ化されました。大好きなエピソードなので嬉しいです。
その冒頭でニホンオオカミの標本が描き出されてグググッと心つかまれました。私は以前、日本に3体しかないニホンオオカミの本剥製のひとつを見たことがありまして、そのときの感動がよみがえってきたのです。
・1月4日放送のアニメ『ドラえもん』(テレビ朝日系)Aパート「オオカミ一家」の冒頭カットより引用
・私が見たニホンオオカミの本剥製。和歌山大学教育学部所蔵のもの。
■「オオカミ一家」の作中でなされる“目でピーナッツをかむ”という不可能約束は何度見ても(読んでも)面白いですね。今回のアニメでも変に改変されることなく“目でピーナッツをかむ”のままだったのでよかったです。まあ、ここは変えられませんよね・笑
この“目でピーナッツをかむ”の元ネタが落語の「唐茄子屋政談」にあります。何年前だったか、そのことを知人からチラリとうかがって、さっそくこの噺を聴いてみました。
「唐茄子屋政談」は藤子・F・不二雄先生が大好きな五代目古今亭志ん生が得意とした演目で、その中に“目でえんどう豆をかむ”という表現が出てくるのです。
藤子F先生は“えんどう豆”を“ピーナッツ”に置き変えて「オオカミ一家」でネタに使ったわけですね。その応用の仕方が巧みです。
三代目古今亭志ん朝による「唐茄子屋政談」を聴いたときは、そこのところが“えんどう豆”じゃなく“お煎餅”だったのも興味深いです。
■「オオカミ一家」ではオオカミの家族が洞穴の中で暮らす様子が描かれます。その描写の、そのイメージの源流と思われるシーンが藤子・F・不二雄先生の初期作品『ジャングルブック』(初出:1958年、原作:ラドヤード・キプリング )の中に見られます。
次の2つのコマをご覧ください。
・画像上:『ドラえもん』「オオカミ一家」(初出:1973年、てんとう虫コミックス『ドラえもん』2巻などに収録)より引用
・画像下『ジャングルブック』(初出:1958年、原作:ラドヤード・キプリング )より引用
どちらのコマも、オオカミの家族(父・母・複数の子ども)が洞穴の中で暮らす様子を描いています。藤子F先生が「オオカミ一家」を執筆するさい、ご自分の過去作品である『ジャングルブック』をはっきりと念頭に置かれていたのか(ご本人の証言がないので)確定的なことは言えませんが、“洞穴の中でオオカミの夫妻と子どもたちが仲良く暮らしている”というその光景のイメージ元にキプリングの小説『ジャングルブック』をコミカライズしたご経験があるのではないか、と私は推測します。
言うまでもなく「オオカミ一家」のオオカミたちはニホンオオカミであり、『ジャングルブック』のほうはインドのオオカミであって、種の違いはあります。それでも、洞穴の中で父オオカミと母オオカミと複数の幼い子オオカミが寄り添い合って生活するシチュエーションに有意の共通性を感じるのです。
さらに以下のコマを比べてみると、ますます強く共通性を感じることになります。
・画像上:『ドラえもん』「オオカミ一家」より引用
・画像下:『ジャングルブック』より引用
この2つのコマを見比べると、“洞穴の中でオオカミの家族と一人の人間の子どもが和気あいあいとじゃれ合うように過ごしている”という点でイメージが重なるのです。「オオカミ一家」における人間の子ども(=のび太)はオオカミの姿に変身していて、『ジャングルブック』のほうは人間の姿のままという大きな相違点はあるものの、そうであっても私はこの2つのコマのイメージの重なりに有意なものを感じるのです。
そういうわけで、『「オオカミ一家」で描かれた“洞穴の中で暮らすオオカミの家族の様子”は『ジャングルブック』で描かれた同様のシーンを源流としている』という仮説をここに提示したいと思います。藤子F先生が『ジャングルブック』の原作を読みそれを漫画化した経験が「オオカミ一家」の表現に反映している、と私は考えます。
※『ドラえもん』「オオカミ一家」の初出は「小学三年生」1973年11月号、『ジャングルブック』の初出は「たのしい二年生」1958年10月号付録です。
koikesan 2025-01-11 12:12 読者になる
女優の木村文乃さんが新イメージキャラクターを務める「アレジオン20」の新テレビCM「動じない私」編が2月5日から全国で放送。
大雪余波日記
昨日も一昨日も大雪で、また積もってるんじゃないかと恐れながら朝に家の外に出たら、降雪量はさほどでもなかった
なんだ、噂の大寒波も大したこと無いなと出勤しようとしたら雪で駐車場から出れなくなった
そうだよな、雪国民としては大した事なくても世間一般的には大雪判定なんだよな
スコップで自力脱出できる程度の雪じゃ大雪じゃないのだ
で、自宅の周辺がこんな状況なので、今日もまた会社のコインランドリーに直接向かったが、現地の降雪量はそんなんでも無かった
いや一応除雪せんとアカン程度には積もってたけど駐車場は普通に入れたし、今日は無理してこっちに来なくてもよかったな
それでも除雪が完了するまで1時間以上はかかったんだが
そこから会社に向かうと、市外のホテルに行った部隊に部材を持って行くよう指令が出た
軽トラックに部材を積み込み、足りないものは部材屋に買いに行き、現場を目指すが、目的地が近いってタイミングで追加の部材の調達の電話が来た
この時は11時ちょっとくらいで、最寄りの部材屋に戻るには遠いんでホームセンターで現金買いしようと行ってみたんだが、売ってない
そうか、ホームセンターに置くにはモノが業務用すぎたか
結局時間的にギリギリな部材屋に行く事になったのだ
さて今日は土曜日であり、部材屋は12時までしか営業してない
普段だったら何でもない道だが、道中は雪の影響を受けており、舗装路が砂利道のようになっている
そんな道なんで、積んでる長物部材を縛り付けてるバンドがゆるんでいく
結果、走行中に崩れてきて運転席の真横で止まった
走り続ける事も危険なんで端に寄せて戻そうとしたが、運転席の真横なんでドアも開かない
最終的には助手席から出て戻すことで事なきを得た
こんな事をやってたから部材屋に到着するのも遅れ、営業終了前ギリギリに滑り込んだかたちとなった
そして当該部材を買い、現地に向かう
現地に到着したのは12時20分くらいだったか
次の仕事が13時からなんでそのまま市内の不動産屋までとんぼ返りしたが、飯を喰う時間もありゃしねぇ
いや、ここで食わんと仕事が終わるまで時間が無いんで無理矢理時間を作って喰ったけどさ
そして次の現場へと向かう
不動産屋で鍵を借りて現場に到着
そこから調査なんだが、言われた症状が治まっているどころか痕跡も無い
上の階も合わせて調査したがやはり痕跡も無い
調べてるうちに社長も到着し、共同で探して行ったが、やはり痕跡も無かった
最終的には2階で気になった個所を直して様子を見る事となったんだが、それで正解だったかどうかはいまだによくわからない
まぁ、ここまで痕跡が無いと、やった調査をアッピールして様子を見るしかないんだよなぁ
とまぁ、そんなカンジで撤収し、次へと向かう
次は16時から市内のアパートでの仕事だったんだが、道が悪くて5分程度の遅れが出る
3分遅れた段階で入居者から電話が来たしさ
いや、5分程度の遅れだとヘタに遅れるとの連絡を入れるより直接向かった方が早いんだよね
そんなカンジで遅れながら現地に到着した
ここでの内容はユニットのトラブル対処なんだが、入居者が分析して行ってきた箇所がなんともなく、微妙にずれた場所が原因だった
やはりシロウトの分析だとそんなもんだろうな
てなワケで、ありふれた消耗品の交換でこの件は終わり
あとはもう時間なんで、事務所に戻って業務が終了となった
それと、この前ちょっと話題になってた新居候補地の話が出た
来週にその建物に入れるようになるそうな
当方としちゃあ安けりゃボロくても構わんので、おそらくはそこで決まるんだろうけど、確定は来週だろうな
帰り道にはおもちゃ屋本舗を物色しに行く
今日は雪のためプラモ部は中止となったんだが、出す予定のコンテストの締め切りが来週日曜までだと勘違いしてたんよ
ここに来るまでの間には間に合うかどうかを危惧してたんだけど、勘違いしてたらしい
おもちゃ屋本舗で確認したら2月2日が締め切りだったんで、まだ慌てるような時間じゃなかったのだ
とまぁ、物色してからはジャスミンでお食事をした
あとは自宅から持ち込んだペットボトルを廃材屋の収集箱に突っ込んでくる
最後に万sai堂なんぞを物色してから帰宅するに至る
これにて今日の行動はおしまいッ!
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2025/01/11(Sat) 23:34:40|
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もっと大雪日記
寝てる間に社長からメールが来ており、今日は雪が多いのでコインランドリーに直接行って除雪してくるよう指令が出ていた
それを見た段階では「ほうほうそんなに雪が多いのか」程度に思ってたんだが、出勤時に実際外に出てみると、多い多い昨日より多いよ
なんたって雪が多すぎて除雪車も来てないのだ
しかもいつまで経っても除雪車は来ない
これじゃあ駐車場から出られないし、出れたとしても道も同じ状況だから身動きが取れないのだ
結局除雪車は普段の出勤時間の1時間後に来て、道路だけ除雪して去っていった
しびれを切らした近所の人が大雪の駐車場を強行突破して行ったんで当方も後ろから便乗して強行突破を目論んだが、スタックしてしまった
スコップでタイヤ周辺の雪を取ってなんとか脱出できたが、ちょっと雪が多すぎるな
最終的に住居を脱出できたのは8時20分の事だった
そこから会社のコインランドリーに向かったが、道は雪だらけで周囲の移動速度も遅く、9時20分にやっと到着した
そして除雪開始だ
ちょっと重機が欲しいレベルの雪をスコップで排水溝に捨てていく
全て人力なんでもちろん効率は悪く、最終的に終わった時間は13時30分になっていた
そこから事務所に戻り、まずは灯油を買いに行く
灯油缶を6本積んでスタンドに行き、100リットル買って戻ってきた
去年はこれでひと冬もったが、今年はどうなるんかな
その次は南側の倉庫が雪で埋まっているんで掘り出す
当然効率は悪く、ここを掘り出すだけで今日一日が終了してしまった
明日もこんなんだったらきっついなぁオイ
ああそういえば、帰り際に社長から引っ越し先の住居の話が出てきた
「会社で今度買う市内の借家をカネをかけずにリフォームするからどうか?」という話だ
元々は会社用として貸し出そうと買ったとかで、ちょっと広さが尋常じゃ無さげなこの物件、聞いた話だと結構よさげだ
建物に入れるようになったら見に行くってな事で今回は話が終わったが、いい話だぞコレ
帰り道にはKeくんの工場に行き、今月分の支払いをしてきた
Keくんはこの後すぐにお子様のお迎えに新潟方面まで行くそうで、ほとんど雑談もなく終了し、撤収した
あとはスーパーで食料を買い、帰宅となった
これにて今日の行動は終了
なお、住居の話を兄にしたら、賛同が得られた
なのでこの話を進めてみる事となった
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2025/01/10(Fri) 23:34:13|
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最強寒波日記
朝起きると、外はまさに大雪だった
昨日まではロクに積もってなかったってのに、一晩でスネくらいまでの高さで雪が積もっていた
外には除雪車も来てるし、これが昨日話題になっていた最強寒波か
……最強って言うには寒さが足りないがな
てなワケで、昨日言われていた通り、自宅から会社のコインランドリーに直接向かい、除雪しに行く
道中は雪であからさまに通行に支障が出ている
積雪圧雪凍結と、冬のバッドコンデイションの欲張りセットが発生しており、道中は常時渋滞気味だ
予定到着時刻よりも遅れつつもコインランドリー到着し、除雪をしていた
そしたら見知らぬ人から声をかけられる
なんでも目の前の店の駐車場でスマホの落とし物があったらしく、今から警察署に届けに行くそうで、もし駐車場にスマホを探してる人が来たら「警察署に届けてあります」って言ってあげてくださいとか言われた
当方としても別に負担にはならないので受諾し、除雪を続行する
なんだかんだで雪は多く、除雪が完了するのに10時までかかった
10時になり目の前の店が開いたんで、さっき頼まれたスマホの事を言ってもらおうと店員さんに頼みに行ったら、行く途中でスマホを拾った
除雪も終わったんで当方も場を離れなきゃならんので、2件のスマホを店員さんに託し、ようやく場を離れる事が出来た
そして次の仕事だが、除雪中に来てた電話の指令により、役場に行って調査をしてくる事になった
調査ったってそんな難しい事でもなく、昨日も行った市内のアパートの件で、その場の計器の指している部屋番を調べるってだけなのだ
んで、行ったらすぐに分かったんで、調査結果を社長に電話し、この件は終了となった
あとは事務所に行って、こっちはこっちで除雪をしなきゃならぬ
除雪の過程で奥にしまってある除雪機を出してみるが、どうもバッテリーが死んでるようだ
しゃあないので自分の車を持ってってブースターケーブルでセルを回すも動かない
なんだ?プラグが死んでるのか?
そんな事をやってたら電話が来て、市外のホテルに部材と機材を届けるよう要請されたので行ってくる
なんだかんだで戻ってきたら16時過ぎになっていたので、半端になってたモノの片付けをしてたら時間となり、本日は業務終了となった
帰り道にはドンキでピザなんぞを買って帰宅した
……今宵はここまでに致しとう御座います
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2025/01/09(Thu) 23:33:51|
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最強寒波(笑)日記
昨日あたりから最強寒波が来るとか聞いてたが、ちょっと盛りすぎじゃね?とか思った朝
寒いは寒いけど、気温の予報だって最低気温-1度の最高気温1度だし、これが最強とは片腹痛い
ただまぁ、冬に通れなくなる道が例年通りに通れなくなりそうな兆候はあるけどね
んで仕事だ
今日は昨年末にも行った市内のアパートで調査をする
色々工作して確認した結果、漏れてちゃいけないモノが微量に漏れている事はわかった
わかったんで撤収する
次は市内のホテルでの工作となる
流れとしては、ウチで壁に穴を開けて、呼んである清掃業者に清掃してもらい復旧するというモノ
で、当方はそれまでの段取りをしていたってワケだ
11時には業者が来るので、床に養生をして壁に穴を開け~とかの工作をし、業者による清掃の後に工作した個所を復旧する
同時進行で同じ階の別な部屋のユニットを取り外し、そこもまた清掃後に復旧する
最後は掃除して片付けをして終了となった
あとは撤収したんだが、事務所に戻ってからはゴミの取りまとめ処理をしていた
集積所がもう一杯なんで、そうせんともう積めないのよ
全部まとめたら最後に処理業者に集荷の電話をして、この件は完了
そんな事をやってたら時間となり、今日は業務終了だ
帰り際に明日の朝の事を聞かされたんだが、会社のコインランドリーに直接行って除雪をしてくるよう指令が出た
なに?今夜はそこまで雪が降るの?
いや確かに帰り際の時点で明日は積もってそうな雪が降ってるけどさ
そしてスーパーで食料を買って帰宅し、今日の行動は終了
帰ってる間には積もりそうなカンジで雪がボサボサ降っていた
こりゃあ明日はヤバいかもな
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2025/01/08(Wed) 23:54:13|
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2025年01月 (11)
明治に生きる新撰組――原田・斎藤・山崎は誠を貫けるか!? 矢野隆『至誠の残滓』
2025.01.05
明治に生きる新撰組――原田・斎藤・山崎は誠を貫けるか!? 矢野隆『至誠の残滓』
主役になることは少ないものの、新撰組では人気者の一人である原田左之助。本作は、幕末を生き延びていた原田をはじめ、明治の世を生きる新撰組隊士三人を描くハードボイルドタッチの物語です。原田、斎藤一、そして山崎烝(!)――もがきながらもそれぞれの誠を求める三人の向かう先は!?
東京の片隅にある古物屋「詮偽堂」――その主人・松山勝の正体は、幕末に上野で戦死したはずの元新撰組十番組組長・原田左之助。病身の妻を抱える原田は、高波梓の名でやはり密かに生き延びていた山崎烝と時に酒を酌み交わしながら、静かに暮らしていたのですが――そこにもう一人の元新撰組隊士が現れます。
それは、かつて三番組組長であり、今は警官となっている藤田五郎こと斎藤一。新撰組時代から斎藤と反りの合わなかった原田は邪険に扱おうとしますが、妻の薬代のため、長州閥と結んで悪事を働く士族の調査を引き受けることに……
この表題作から始まる本作は、原田・山崎・斎藤の三人が主人公を務める全七話の連作集として構成されています。明治の新撰組といえば、今では即、斎藤一が連想される(次点で永倉新八)わけですが、その斎藤だけでなく、原田と山崎が登場するというのがユニークな点です。
原田といえば、上野戦争で戦死せずに生き延び、満州に渡って馬賊となったという巷説のある人物だけに、明治以降に登場する作品は皆無ではないのですが――山崎は非常に珍しいといえます。彼については死亡の記録がしっかり残っているだけに、実は生きていたというのは難しいのですが、そこは本作独自の理由を設定している点が面白いところです。
さて、こうして明治の世に姿を現した新撰組隊士三人ですが、それぞれ実に「らしい」キャラクターとして描かれているのが嬉しくなります。
難しいことを考えずに直情径行で突っ込む原田、冷徹で非情に見えて内に熱い信念を持つ斎藤、荒事は苦手だけれども監察で鍛えた人間観察眼を持つ山崎――それぞれのキャラクターは決して斬新というわけではありませんが、それだけに納得のいく言動には、新撰組ファンであれば必ずや満足できるでしょう。
しかし、本作の舞台となる明治11年から18年においては、彼らが活躍した時代は既に過去のものです。それどころか、幕末での新撰組に恨みを持つ者が新政府にも少なくない状況で、かつての自分の名を名乗ることもできず(特に死んだはずの二人は)、彼らは新たな名でそれぞれの生活を営んでいるのです。
そんな中で、果たして彼らはかつての誠の志を抱いて、生きていくことができるのか――本作はそれを鋭く問いかけるのです。
特に中盤以降、斎藤そして山崎は、ある人物に絡め取られてその走狗として生きることを余儀なくされます。その人物とは山縣有朋――長州出身の軍閥の首魁ともいうべき男であり、後には元老として絶大な権力を振るった存在です。
当然というべきか、この時代を描くフィクションでは悪役になることの多い山縣ですが、本作においてもそれは同様――斎藤たちを操り、数々の陰謀を巡らせる、何を考えているのか山崎にすら読ませない不気味な存在として、作中に君臨するのです。
この明治政府の闇の象徴ともいうべき存在を前にしては、所詮は一人の人間である斎藤も山崎も、無力な存在に過ぎません。それでも己の中の誠と折り合いをつけ、この時代を生き延びようとする彼らの戦いは何ともドライかつ重く、それが本作のハードボイルドな空気を形作っています。
果たしてこの山縣の闇に、原田までもが飲み込まれてしまうのか。そして彼らはかつての誠を失い、走狗として死ぬまで戦い続けることになるのか……
それでも山縣が企む最後の陰謀に対して意地を見せる三人ですが――そんな緊迫感溢れる終盤において、読者は本作を誰が書いたのか、改めて思い知らされることになります。
作者はデビュー作の『蛇衆』以来、様々な形で「戦う者」「戦い続ける者」を描いてきました。
見ようによってはやり過ぎに感じられるかもしれない本作のクライマックスは、しかしそんな作者のまさしく真骨頂。あまりにも作者らしい展開であり、そしてその先に待ち受ける結末とともに、新撰組ファン、そして作者のファンとしては、思わず笑顔で頷いてしまうのです。
たとえ時代が変わっても、一度は己を殺すことになっても、決して消えない、変わらない――そんな熱い想いを持った男を描いた快作です。
19:00 | 固定リンク
«2024年に語り残した歴史時代小説(その二)
3:58 · Go to channel · 【大野智】 アレグラFX CM総集編 【全14種】
▼CM情報
久光製薬株式会社「アレグラ®FX」新TV-CM「巨大アレグラ人現る」篇(15 秒)
2月6日(月)より順次放送開始
出演:吉高由里子 / 知念侑李(Hey! Say! JUMP) / 神宮寺勇太(King & Prince)
「アレグラ®FX」公式サイト:
Hisamitsu アレグラFX CM 「巨大アレグラ人現る」篇 15秒
また「アレグラ®FX」では、同日10時より新TV-CM「巨大アレグラ人現る」篇やWEBオリジナル6秒動画、メイキング映像を観ることができるCMギャラリーがオープンする。ぜひチェックしてほしい。
Hisamitsu アレグラFX CM 「巨大アレグラ人現る」篇 15秒
▼CM情報
久光製薬株式会社「アレグラ®FX」新TV-CM「巨大アレグラ人現る」篇(15 秒)
2月6日(月)より順次放送開始
出演:吉高由里子 / 知念侑李(Hey! Say! JUMP) / 神宮寺勇太(King & Prince)
「アレグラ®FX」公式サイト:
オリジナル楽曲 - 上タン塩 - ✄--- タンシオ---𓁉 ..
発売2年目の今年は新キャストとして、あき竹城さん演じるアレグラ人の母「タケージョ」も登場。「眠くなりにくい」「口が渇きにくい」という商品特性をコミカルに強調するストーリーと意外なキャスティングが笑いを誘う。「花粉だ!鼻炎だ!アレーグラー!」というアレグラ人の決めポーズも前作からパワーアップし、大野さんらが見せる切れ味抜群のポージングに撮影現場では感嘆の声が上がったという。
いいなCM 久光製薬 アレグラFX 大野智 桜庭和志 大場 ..
大野智()が出演する、久光製薬のアレルギー専用鼻炎薬「アレグラFX」「アレグラFXジュニア」の新CM「アレグラ寺の和尚」編、「雑巾がけ@アレグラ寺」編が2月12日(火)よりテレビで順次オンエアされる。