No.127 昭和58年11月、ザ・コブラ日本デビュー戦の真実
キッド、スミスが全日本プロレスへ移籍したため、コブラはブラック・タイガーとMSGで王座決定戦を行って破り、初代タイガーマスクに次ぐNWA、WWFジュニアの二冠王となり、ヒロ斎藤と抗争を繰り広げるも、コブラの試合はテレビマッチで放送される機会もなく、ヒロとの抗争もテレビすら放送しなかった。ヒロも新日本プロレスを離脱してしまい、新日本プロレスもWWFと提携を解消したことで両王座は返上してしまった。それに伴ってIWGPジュニアヘビー級王座が新設、王座決定リーグ戦が行われ、コブラは優勝決定戦に進出して全日本プロレスから移籍した越中詩郎と対戦したが、スペース・フライング・タイガー・ドロップは飛距離が足りずに失敗し、ダイビングボディープレスも剣山で迎撃されたコブラは越中のジャーマンスープレックスホールドに敗れ王座奪取に失敗する。また越中がUWFから出戻っていた髙田延彦と抗争に入ったことで、ジュニアの中心が二人に代わってしまい、コブラは越中を破って2代目王者となった高田伸彦と対戦したが、両者リングアウトで王座は奪えず、「キング・コブラになって帰ってくる」と言い残し、ザ・コブラは消え、ヘビー級へと転向した高野がリングに登場した。
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素顔に戻った高野だったが、新日本プロレスは高野を売り出そうとしなかったため中堅で燻るようになるも、それには理由があって高野はコブラ時代からプライベートで度々問題を起こしており、新日本プロレスも高野をトップレスラーとして扱うのには不適格と判断したからだった。新日本プロレスは武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋の闘魂三銃士を売り出すことになると、高野もさすがに居場所を失うが、そこで若松市政から誘いを受けてSWSへ移籍を決意するも、そもそもそれは最初は俊二に来た話で高野が横取りしてしまったのだ。
(参考資料 双葉社「逆説のプロレスVol.17『取材拒否』新日本プロレスワールド コブラvsスミスは新日本プロレスワールドにて視聴できます)
1983年、初代タイガーマスク引退直後に登場した謎のマスクマン「ザ・コブラ」!伝説のズンドコ・デビュー戦から、
WWFとの契約更新を、どうにか先延ばしにした新日本プロレスだったが、長州力、アニマル浜口、谷津嘉章、小林邦昭、…
金ラメ(二重生地)、黒人工皮革、金本革縁
KONDOU製(KONDOU&FSRタグ付)
「40th Anniversary」のプリント付
日本デビュー戦モデル
サイン入り
着用写真、本人手書きの証明書付
※2023,11/3 闘道館でのトークイベントの際に限定5枚で販売された物
昭和の新日本プロレスのジュニア戦線で活躍した覆面レスラー、ザ・コブラ ..
後年、ジョージによると「(トペ失敗)はそのまま放送して欲しかったですね、そうすればタイガーマスクと比較がわかると思うんですよ、佐山さんが新日本を辞めたばかりで、コブラはその後釜に期待されていたことは知っていたけど、だからこそあの失敗は放送して欲しかった。佐山タイガーは全部成功するキャラクター、でもコブラは成功しないみたいな。再起するキャラクターなんですよ、私はコブラのカラーを出したかったんですよ、コブラはどこが違うかって言ったら猪木さんのファイティングスピリット、決して諦めない気持ちと動きで見せるところです」と語ったとおり、初代タイガーは完成品であるに対し、コブラは未完成、だからこそ何度も敗れて失敗しても、歯を食いしばって立ち上がる闘志を見せるコブラをジョージは見せたかった。しかし新日本やテレビ朝日はタイガーマスクのようなキャラを期待していた。コブラがしくじった理由は本人の望んでいた方向と、新日本やテレビ朝日、またファンとの方向性の違いが原因だったからかもしれない。
【プロレス-今日は何の日】
1983年11.3 蔵前国技館(まだ蔵前ね)
ザ・コブラ vs デイビーボーイスミスっ!
<王者>高田伸彦 対 <挑戦者>ザ・コブラ の一戦 チャンピオンが ..
ザ・コブラは、元力士出身のプロレスラー、ジョージ高野が扮していた覆面レスラーである。初代タイガーマスクが人気絶頂の中突如として引退したことにより、新たなスターとして輩出されたマスクマンとしてデビュー前から紹介されていた。だが、タイガーマスクのようなムーブメントには至ることができなかったことから悲劇のマスクマンと称されることもある。
コブラが初めて世に出たのは、1983年、カナダのカルガリーでのことであった。国籍不明のヒール役として登場、カナダでその地位を築き上げていった。同年10月末、タイガーマスクの引退によって急遽彼は帰国を促され、11月3日に蔵前国技館で行われたNWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦にて、コブラは日本デビューを果たした。
戦 ダイナマイト・キッド vs ザ・コブラ 「新世紀大巨人」ザ・ジャイアント平成8 ..
その後コブラは割れた膝は手術せずにスクワットなどで下半身を強化して1984年に復帰したが、現在も膝は割れたままだという。コブラは「新春黄金シリーズ」に開催された「WWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦」にエントリー、公式戦では初代タイガーのライバルであるキッド、初代ブラックタイガーを破る殊勲を挙げたが、優勝決定戦はキッド、スミスと三つ巴で争われ、三つ巴戦はスミスがコブラと引き分け、キッドに敗れて脱落し、優勝はコブラとキッドの間で争われたが、キッドがバックドロップホールドでコブラを破り優勝、コブラは初黒星を喫した。
NWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦。ザ・コブラvsザ・バンピート.
状況的に、タイガーマスクと比べられてしまうのは致し方ない面もあっただろうが、結果的に重ね合わされたことで周囲の脳裏に浮かんだのは「期待外れ」の一言であったことは間違いない。
ザ・コブラ選手の日本デビュー戦の相手と言いましたが、実はザ・バンピート選手はザ・コブラ選手と一度も闘った事は有りません
なお、この時のデビュー戦は様々な面で語り草となっている。コブラのマスクは、白ベースに赤いコウモリが描かれていたものであったが、その着用しているタイツは青を基調として赤色の星などが散りばめられていたデザインであったため、非常に違和感のある配色の組み合わせとなっていた。しかも、このデビュー戦のオンエアタイムはダイジェスト放送だったということもまた悲しいことであった
。
WWFジュニアヘビー級王座やNWA世界ジュニアヘビー級王座などを獲得していったものの、コブラはブームと呼べるほどの盛り上がりを見せずに燻り続けていた。ライバルと呼べるような相手にも恵まれず、同世代であるヒロ斎藤と抗戦を繰り広げた時期もあったが、結果として彼はコブラのマスクを脱ぎ捨ててカナダへ渡ることとなった。
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ケンドーコバヤシ令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(6)後編(前編:ザ・コブラの異様すぎる凱旋マッチに「今、俺は何を見ているんだ?」>>) 入場から異様なシーンが続いたザ・コブラ(ジョージ高野)vsザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)に、…
ザ・コブラ復活の大ハッスル「またリングに立たせてもらって感謝」
新日本だけでなくテレビ朝日もコブラの入場シーンを派手にするなど、ポスト・タイガーマスクとして大きな期待をかけていたはずだったが、凱旋マッチで手の合う相手として用意したスミスが大誤算で、扱いに不満だったのか。コブラを引き立てようとしなかったこともあって周囲の期待を大きく裏切ってしまった。
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その後は、1986年7月にジョージ高野として凱旋するも、まるでコブラ時代のしくじりが尾を引いているかのように、移籍、内部分裂、旗揚、活動停止など、放浪とも言えるようなプロレス人生を送ることとなった。引退してはいないものの、仕事はすでに転職をしているという。
【オークファン】ザコブラデビュー戦の時似てマスクベジユに入札した入札者の順位と入札額、最後に手動入札した時間を確認することができます。
入場から異様なシーンが続いたザ・コブラ(ジョージ高野)vsザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)に、少年時代のケンドーコバヤシさんの頭は大混乱。しかし、試合中にもまったくの予想外の出来事が起こる。このプロレス史に残る迷勝負に、ケンコバさんはある仮説を立てた。
自作マスクは、ひとまず休憩。して同じく「ザ・コブラ」。「OJISAN」製の応援用マスク。十字テープ、裏張り無し。かなりの年代物です。
選手としては、「新日本プロレス史上最も素質も素材も良い」と言われていたほどの逸材を謳われていたが、そうした人間が必ずしも栄光をつかめるわけではないことが伺える、なんとも哀愁に満ちた生き様である。だが、近年においては動画サイトなどによって過去のVTRが見られるようなことも影響して、再注目されるなどにわかに人気も高まっているという。そして2018年には、16年ぶりにザ・コブラとして出場、ファンを沸かせることとなった。
ザ・コブラ #コブラプロレススーパーヒーロー列伝Part1 第一回目はもちろんコブラ! ..
改めて試合開始のゴングが鳴らされると、館内はコブラコールではなく「高野コール」が起きていた。そして肝心の試合となると期待されたコブラの空中戦は封じられ、グラウンド中心の攻防に終始、コブラが空中殺法を狙うと、スミスは受けようとしないなどの行為が目立ち、コブラの良さを引き出さずに自身の良さばかりをアピールしたため、ジュニアらしい華麗な空中戦も攻防はなく、さすがの館内も野次が飛び始める。
それでもコブラはドロップキックでスミスを場外に追いやると、ノータッチトペスイシーダを発射するが、スミスはかわして鉄柵へ直撃しコブラは両膝を負傷、この時にコブラは膝の半月板が割れたという。スミスは場外パイルドライバーで突き刺すが、コブラも鉄柱攻撃から同じ技でやり返し、リングに戻ってスミスはミサイルキックを狙うと、コブラも下からのドロップキックで迎撃、コブラは痛い両膝でのダブルニーからフライングラリアットを狙うが、タイミングが合わずに相打ちとなって失敗してしまう。しかしスミスのセントーンをかわしたコブラはフライング・ラリアットを決めて3カウントを奪い勝利も、フィニッシュの技にはインパクトに欠けるだけでなく技の失敗も目立って、新日本やテレビ朝日の期待を大きく裏切る結果となってしまい、肝心の試合の模様は試合途中からトペの失敗まではダイジェストで放送され、放送されたのは終盤でのフィニッシュシーンでの攻防だけだった。
2代目タイガーマスク タイガーマスク ザ・コブラ プロレスマスク プロレス格闘技
因みに、ザ・コブラというリングネームについては、一説によると彼の男性器が信じられないほど大きいことに由来していると言われている。実際、このことは周りによく知られていたそうで、特に前田日明は無理やり長さを測らせてもらったり、合宿中花火を彼のパンツの中に入れたりするなど、強い憧れを抱いていたという。
ザ・コブラ テーマ曲「The Heat Goes On」MonkeyFlipLIVE2014
【参考記事・文献】
ジョージ高野の現在と伝説とは? 入場曲やコブラでの試合を紹介!
ケンコバの頭が大混乱。ザ・コブラの異様すぎる凱旋マッチに「今、俺は何を見ているんだ?」
栄光なき逸材のしくじり放浪記/ジョージ高野(ザ・コブラ)【俺達のプロレスラーDX】
初代タイガーvsザ・コブラ - 1996.11.20 虎vs蛇です。
――異様な展開の連続だったザ・コブラvsザ・バンピートですが、試合中にさらなるあり得ないことが起きたそうですね。
ザ・コブラ テーマ曲 The Cobra Entrance Music
1983年11月3日 新日本プロレス 蔵前国技館
ザ・コブラvsデイビーボーイ・スミス(ザ・バンピート)!